好きな花ってたーくさんある。 でもなんとなく、私の大・大・大好きだった、祖母を思い出す花を連想することもある。 バラ、ケシの花、都忘れ、キキョウ、ホウズキ、コンフリ ー、・・・祖母と孫の私がかかわった花かな。バラはいつも帰り際、切って棘をハサミでしごいて、広告にくるんでくれた。ケシは警察が見に来たのよ、でもうちのケシは大丈夫、と話してくれた。私の顔くらいの高さにいっぱい咲いていてそれはそれはすてきだった。 都忘れは花が2種類あるの?と訪ねた。咲き終わりに花びらが丸まることを教えてくれた。キキョウはそれは見事に咲いていて、自分の家でも株分けされたものを、大事に大事に育てていた。ホウズキは一緒に笛を作ったり、広告で着物を作って実の顔をさした。コンフリーは私の大好きな天ぷらにしてくれた。一緒に小さな庭の小道を歩くのが大好きだった。 ウンチの木があった。鳥の糞から出た木だ。 私はそれをとてもウットリと聞いた・・。その鳥はおいしい実を食べて、楽しく空を飛んで、この木に休んだのだろう。 幸せにすごした鳥が、この家で羽を休めた結果の。。。なのだから。 ケイトウやダリアは子供のころはあまり好きではなくて、母が好きというのを知ってから好きになった。 花は、だから、あまり知らない花でも、好きな人が植えていたり好きと聞くと、すぐ好きになる。 ダリアは特に、まちさんの写真を見てから圧倒的にファンになった。まちさんのブログに出てくる、いろんな知らない花々についても、目を大きくして見ている・・・。 私にとって、花ってそうだ。 育てながら、いろんな好きな人のやさしさや、手のぬくもりを考えて好きになる。 幼稚園でも、大好きだった先生が残してくれた花を、とても大事に思っている。それらを、できるだけたやさないように、受け継いで、育てていきたいと思っている。なかなかできないことも多いけれど・・・。 最近そんなふうに・・・。 大好きな人たちの好きだった花を、知らず知らずのうちに、収集したい自分に気付いた。もちろんできないことも多いけれど、自分はそれができたらうれしいのだなと思った。 その花の中にいられることがとても幸せなんだろうな。すべてはかなわないのだろうけれど、なんとなく、ちょっと、でも・・・。 |